ぶらり訪問記 No.017
訪問先:赤熊太鼓保存会
吉野ケ里と言えば知らない人はいないといっても過言ではないぐらい有名な史蹟がある街、その有名な歴史ある吉野ヶ里町を拠点とした創作和太鼓集団が昭和62年(1986年)に結成され赤熊太鼓(しゃぐまだいこ)と命名された。
赤熊太鼓と言う名前は、戦国時代1530年、今から約500年ほど前、山口県周防国の第16代当主、大内義隆氏が肥前の国の戦国大名少弐氏を滅ぼそうと攻め入り、吉野ケ里町の田手宿付近で合戦を行い、負けが濃厚だった少弐軍であったが奇襲攻撃により、なんと大軍の大内軍を打ち破ったと伝えられ、その戦いを田手畷の戦い(たでなわてのたたかい)と後の世まで語り継がれてきた。
その奇襲攻撃の際、赤く染めた毛の被り物をした赤熊軍団が鉦、太鼓を打ち鳴らし奇襲をかけ勝利をつかみ取り、大内勢による肥前支配から免れ、肥前の国を守ったと伝わる「赤熊武士」の武勇伝にちなんで命名されたとのこと。
現在、伊東 健会長を筆頭にリーダー古賀友輔氏及びサブリーダー高尾康一郎氏を中心とした指導体制で10歳未満から、60歳代までの幅広い年齢層のメンバー約30人で活動中。
地元、吉野ヶ里町のイベントや、地域夏祭りなど県内外を問わず積極的に活動の幅を拡げており佐賀県内和太鼓チームでも初となる、2020年、2021年と2年連続で吉野ヶ里歴史公園での5時間連続単独公演を敢行。
また日本伝統の和太鼓をベースに、モダンなテイストも織り交ぜた様々なチームオリジナル楽曲も製作、演奏披露している非常にバイタリティーでユニークな和太鼓チームである。
練習は毎週火曜日、金曜日の19時から21時まで、吉野ヶ里町健康福祉センターふれあい館にて行われている。
このチームのモットーは “まず太鼓を楽しむことを第一に!”そしてメンバー間のコミュニケーションや技術向上、演奏イベントの演出、指導も含めすべてメンバーで行い一人一人の向上心と全体のチームワークを育んでいるとのこと。
~木谷の独り言~
早めに練習会場につくと太鼓の音が聞こえてきたので、ちょっと覗いてみると、なんともうすでにジュニアチームの練習が行われていた。
年齢にばらつきはあるが小・中・高校生あたりのメンバーであろうか、まずはその数に驚いた。久々に見る次世代後継者である。なんとも頼もしい限りである。
このジュニアチームの練習風景を見るだけでこの太鼓チームの組織力、指導体型、チームワークの素晴らしさが感じ取れた。
合わせて太鼓テクニックの上達ばかりではなく感謝の気持ちを持ちながら、合わせて礼儀作法までを身に着けさせていく指導内容が随所に現れている。
19時半ごろから大人のメンバーの方々が徐々に現れレギュラーメンバーの練習が始まった。
ジュニアチームの練習風景を見てすでに予測がついていたが、やはり想像通りいいチームであった。
私は打楽器アンサンブルで特に気を付けないといけない重要点にバランスと構成を上げるがこのチームはもうすでに理解し取り入れている。
和太鼓は、ただやみくもに、がむしゃらに大きな音で叩いて聞き手を圧倒させるだけではない。
このチームには和太鼓で音楽を奏でるにはどうしたらよいのかを常に考えながら努力をしているところが練習の至る所で見受けられた。
ただ、単に太鼓をたたいて出てくる音で満足するのではなく、このフレーズではもっと柔らかい音が欲しい・・どうしたら柔らかい音が出るのだろう?叩き方を変えてみたら?いやいや、ばちやマレットをフェルトで巻いてみたらどうだろう?などなど、普段のみんなの会話が聞こえてきそうな気がする。
おそらく常日頃の練習においてみんなで話し合いながら考えているのであろう。
このチームのメンバーは今からも、これから先ずっとチームワークを大切にしながら音楽レベルの向上だけではなく人間としての心の豊かさをも身に着けてもっともっと活動してくれるに違いない。
このチームの今後ますますの発展と活躍を心より期待したい。